各種半導体実装 各種精密貼合 各種機器組み立て 試作から量産まで一貫受託!


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 今回は、当社の創業80周年についてです。

 当社は80年前、戦後の混乱も治まらない昭和21年8月31日に「信濃蚕業株式会社」として創業しました。「蚕業」という社名からもわかりますが、最初は蚕種(蚕の卵)の製造・販売を主たる事業としていました。製糸業は明治から昭和初期にかけて、日本の近代化の基礎を築いた重要な産業であり、品質の良い生糸を効率的に生産するためには、蚕種の改良が鍵でした。

 高度成長期を迎えるなか、シルクはナイロンなどの化学繊維に市場を奪われ、製糸業、蚕種事業もその将来性が見通せなくなりました。当社は1968年「東洋のスイス」と呼ばれ諏訪地域の主要産業となりつつあった精密事業に参入し、ウオッチやカメラの組立業務の受託事業に会社の方向性を大きく転換しました。

 1990年頃になると、世の中は情報化社会・デジタル化社会へと大きく変化してきました。当社も従来のウオッチ・カメラの組立外注から情報機器(ステッピングモーター、プリンター、ICカード等)の製造受託へとその業容を変化させました。こうした業容の変化を体現するために、1996年、創業50周年の時に会社名を「信濃蚕業」から「イングスシナノ」へと変更しました。この社名には、ING(前進し続ける、進行形)+S(多分野)+SHINANO(信濃)という意味がこめられています。

 2000年には、「これからの日本で成長していくものづくりは実装事業である」とターゲットを定め、新社屋を竣工し、工場フロアのクリーンルーム化に取り組みました。これにより、ライトバルブの実装やLCDモジュールの試作・量産など、クリーンルームでなければ受託できない新たなビジネス領域への展開が可能となりました。

 現在、当社は創業期から数えて、第4期にあると考えております。日本では1990年後半から多くの企業が海外へ転出しました。それに伴って、半導体産業にとって欠かせないコア技術も次々と東アジア諸国の企業へと移転していきました。技術が先進国から途上国へと移転していくのはやむを得ないことですが、昨今の地政学的リスクの高まりに直面し、政府が「半導体の競争力強化」をうたっても、肝心なエンジニアが日本にいないのですから、簡単な話ではありません。

 当社は日本で実装や貼合のビジネスを積極的に展開しており、国内回帰を考える多くのお客様にとって欠かせない存在となってきています。先端技術に対応できる装置を導入しておりますし、現場たたき上げの技術マイスターエンジニアも多数在籍しています。当社独自の技術に裏打ちされた課題解決を大手企業や大学、研究機関等の皆さまと協働してご提案するようなケースも数多くありますので、いつでもお気軽にお声がけください。

 以下、雑談です。中央線を行き来していますと、沿線にびっしりと「アレチウリ」がはびこっていることに気づきます。自宅の線路沿いの柿の木もてっぺんまで「アレチウリ」に覆われて難儀しています。「アレチウリ」は日本の侵略的外来種ワースト100に選定され、その駆除に大変苦労しています。長野県では毎年7月に「アレチウリ駆除全権統一日」を定め、2007年から活動を展開していますが、駆除の方法は、種を付ける前に抜き取る!できるだけ小さいうちに抜き取る!1年に数回抜き取る!アレチウリが現れなくなるまで数年間続ける!というもので、いくら地道な努力といっても、その繁殖力に対してはとても対抗できそうもありません。なにか抜本的な解決策がないものかと思う次第です。

(T)